「父と母のこと」~農業をこよなく愛した創業者のストーリー~

大古場 逸男
昭和12年(1937年)3月に佐賀県武雄市若木町生まれる。
<平成24年10月他界>

9人兄弟、上から8番目、大古場家の五男として家業の農業を幼いころから手伝い大古場家の跡取りとなる。以来、農業(稲作・野菜栽培・ミカン栽培)を中心に食肉業、石材業等を営み田畑を守り続けた。特に稲作では、民家も無い行き止まりの小さく何十枚もある棚田を自力で整備し、沢の水でこだわりを持ち栽培していました。野菜作りでは、この土地に相性の良い種を見つけては栽培していました。記録を残さずとも頭の中には、いつ、どのタイミングで何を育て手を掛ければよいのか全てインプットされていました。今日の天気、明日の天気、今後の気象予報までわかっているようでした。約30年前、所有している山林の土をダム造成に使ってもらい、開けた土地に500本の南高梅を植えました。最期まで農業者としてこだわりを持ち独自の考えを押し通す頑固で芯通った素晴らしい父でした。

 

大古場 キヨ
昭和16年(1941年)1月に佐賀県伊万里市生まれる。
<平成23年12月他界>

24歳の時に若木町に嫁ぎ、以来46年間、この土地で父と共に日々農地を守り人の命を繋ぐ食を作り続けました。誰より、何より農業をこよなく愛しておりました。「死ぬまで笑って百姓がしたい」これが母の口癖でした。そんな母の想いを受け継ぎ、次世代に伝えたいとの思いが社名となりました。 先見の目を持ち生きる事を背中で見せてくれた偉大な母でした。

 
 

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